忘れられないパン屋さんの思い出(6)

🔳 田舎パンという名前
カンパーニュ――名前の通り「田舎パン」という意味。
素朴で飾り気のない響きですが、私にとってはどこか特別で「たまのご褒美パン」でした。
バベットの棚に並んでいたカンパーニュは、大きくてどっしりとした存在感。
両手で持つとずしりと重みが伝わり、その瞬間から心が弾んだのを覚えています。
生地にはしっかりと弾力があり、噛むほどに全粒粉やライ麦が生み出す
ほどよい酸味と食感がじんわりと広がっていく――その「ほどよさ」が、まさに魅力でした。
強すぎず、弱すぎず、程よいところで落ち着いている。
それは、パン屋のご主人の口癖だった
「何も足さない、何も引かない」
という言葉そのもののように思えるのです。
🔳 食卓の小さな豊かさ
カンパーニュの楽しみ方は色々あるけれど、私が好きだったのはシンプルな食べ方。
焼かずに厚めに切って、バターやオリーブオイルをのせる。
それだけでパンの魅力がぐっと引き立ち、噛むごとに広がる味わいに
しみじみと「おいしいなぁ」と心が満たされました。
さらに忘れられないのは、ひよこ豆のスープと合わせたひと皿。
スープに浸したパンを頬張ると、素朴なのに驚くほどの満足感があって、
「これだけで十分」と思えるほど。
そして、その日は紅茶も多めに用意します。温かい紅茶の香りが、パンとスープの豊かな味わいをやさしく包み込み、
小さな幸せが何倍にも広がっていく――そんな食卓でした。
🔳 ご褒美のようなパン
カンパーニュは、毎日食べる日常のパンというよりも、
私にとっては「ときどき訪れる特別なパン」でした。
食卓にその大きなパンがあるだけで、空気がふわりと和らぎ、
ついつい手が伸びてしまう。
家族が笑顔になり、会話が自然と弾む。
そんなひとときが、このパンにはありました。
派手さはないけれど、心を静かに満たしてくれる――
まさに、ささやかなご褒美のような存在。
私にとってのカンパーニュは、
暮らしの中に小さな豊かさを添えてくれるパンでした。